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益田 和久

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第275回 子どものSNS利用規制が問いかける、デジタルとの共生と「啓蒙し続ける」ことの意味

2026/06/12

先日、日本経済新聞に子どものSNSやスマートフォン利用をめぐる一連の記事が掲載されました。こども家庭庁が一律の年齢制限には慎重な姿勢を示しながら、SNS事業者への年齢確認の厳格化や依存を防ぐ仕組みづくりを求める方向で議論が進んでいること、また総務省が報告書案として事業者側への保護措置強化を打ち出したこと、さらには「無限スクロール」のような依存を誘発する設計そのものに企業の責任を問う動きが国内外で始まっているという内容です。

記事を読んで、改めて感じたのは、これは子どもだけの問題ではなく、社会全体で向き合うべきテーマだということです。スマートフォンは今や、老若男女を問わず日常生活に不可欠なインフラとなっています。仮に大人に対して使用を制限するような事態になれば、大げさではなく、生活そのものが立ち行かなくなる人も出てくるでしょう。それほどまでに、スマホはオンライン・デジタル社会における「万人共通ツール」として社会に深く根付いています。

今回の記事で私が目から鱗だったのは、SNSやスマホが「子どもにとって最後の居場所」になっているケースがある、という指摘でした。家庭でも学校でも安心できない子どもにとって、オンラインのつながりこそが唯一の支えになっている——。不登校支援に取り組むNPO法人の代表が「スマホは命綱」と語る言葉が、強く胸に刺さりました。こうした子どもたちにとっては、制限や規制が命にかかわる話になりうる。ライフラインに制約をかけるにあたっては、慎重のうえにも慎重な議論が必要だと痛感しました。

一方で、そうした子どもはあくまでマイノリティです。多くのユーザー、すなわちマジョリティの視点から見れば、SNS依存や有害コンテンツへの接触を防ぐための規制強化には、一定の合理性があります。しかしマイノリティの存在を無視した多数決的な制度設計は、見えないところで誰かを傷つける可能性があります。本コラム第267回でオンラインカジノのブロッキング問題を取り上げた際にも触れましたが、デジタル空間における規制の問題は、常にこの「多数と少数」「利便と保護」という緊張関係のなかに位置しています。

またここ最近、AIと対話することを日常的な習慣とする人が増えてきました。加えて、ライフスタイルや価値観の多様化が著しい今、デジタルとの関わり方に「これが正解」という唯一解を見出すことは、ますます難しくなっています。本コラム第272回で取り上げたN高等学校のように、オンラインを学びの基盤にした教育モデルが社会的な成功を収めている現実もあります。スマホやオンラインは、使い方次第で人の可能性を大きく広げる道具にもなりえます。規制一辺倒ではなく、活用の質を高める視点が欠かせません。

もちろん、ルールをつくること自体は大切です。しかしルールがあれば万事解決、というほど物事は単純ではありません。制度には必ず抜け穴が生まれますし、社会の変化とともに形骸化するリスクもあります。デジタルの世界は「日進月歩」どころか「秒進分歩」とも言えるスピードで変化し続けており、制度が追いつく前に次の課題が生まれる構造があります。オーストラリアが16歳未満の利用を法律で禁止したとしても、メタ社が「子どもは別のプラットフォームを探す」と指摘するように、規制はいたちごっこになりやすい。

だからこそ、制度の整備と並行して、私が最も重要だと考えるのは「継続的な啓蒙」です。会社でも学校でも地域でも、スマホの使い方やデジタルとの向き合い方について、時代の変化に即した形で常に発信し続けていくことが不可欠です。以前のコラムでも述べましたが、高齢者のデジタルデバイド(第270回)も、若手社員のメンタル不調(第274回)も、子どものSNS依存も、その根本にあるのはデジタルとどう付き合うかという「リテラシーと関係性」の問題です。テクノロジーはツールに過ぎず、それを使う人間側の意識と能力こそが問われています。

ビジネスパーソンを元気にする仕事に携わる者として、あらゆる機会でこのメッセージを発信し続けていく必要性を、改めて強く感じた今日この頃です。

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