HACHIDORI NO HANE(ハチドリのはね)HPトップ

益田 和久

ホーム > 益田 和久 > 記事一覧 > 第270回 高齢者のデジタルデバイドと「TOKYOスマホサポーター制度」〜サポートする側もされる側も「自分事」として〜

第270回 高齢者のデジタルデバイドと「TOKYOスマホサポーター制度」〜サポートする側もされる側も「自分事」として〜

2026/05/07

先日、日本経済新聞に「東京都、高齢者3.5万人にスマホ代3万円補助 公式アプリ活用加速」という記事が掲載されました。
東京都が2026年度、スマートフォン向け公式アプリ「東京アプリ」の利用促進にあたり、情報弱者になりがちな高齢者が置き去りにならないよう支援を充実させるという内容です。
スマホを初めて自分用に購入する65歳以上に対し、区市町村を通じて上限3万円を補助し、計3万5000人を支援できる体制を整えるそうです。
利用者には条件として「スマホ教室」への参加や東京アプリのダウンロードなどが義務付けられています。
総務省によれば、国内の全世帯におけるスマホ保有率は9割に上るものの、65歳以上の世帯に限ると7割強まで下がるといいます。

実はこのテーマ、私自身がここ1〜2年で人生のなかで深く向き合ってきた問題でもあります。
昨年は遠隔地に住む母の看護と看取り、そして残された父親の入院から見舞い、介護と、これまで経験したことのない局面が続きました。
そのなかで強く感じたことの一つが、「年寄りほどスマホは使えたほうがいい」ということです。

母は、その年代では珍しい「コンピューターおばあちゃん」とも言える存在で、スマホをはじめとしたデジタルガジェットに非常に慣れ親しんでいました。
その母が死期を前にして最後まで気にかけていたのが、「デジタル音痴」の父のことでした。
父は耳が遠いこともあり、電話でのやりとりも難しい。
だからこそ「最低限LINEだけは使えるように、ヘルプしてあげてほしい」と私に託したのです。
普段から地域の高齢者や初心者の簡単なデジタル相談に乗っていたこともあり、また父のスマホがAndroidだったこともあり、いい機会だと思って私は東京都の「TOKYOスマホサポーター制度」の資格を取得しました。

ただ、そこで直面したのは厳しい現実でした。
どんなに周囲が「年寄りにスマホを活用させよう」と思っても、本人に積極的に利用しようという意思がなく、それに付随する目的が明確に定まっていないと、なかなか活用には至らないということです。
加えて、継続的に指導する機会がないと、覚えたことも次第に忘れていってしまいます。
父はLINEはまあまあ使えるようになりましたが、それでもメッセージのやりとりと写真の添付くらいです。とはいえ、それだけでもできるようになっただけマシなのかもしれません。

今回の都の取り組みのねらいは、記事に記載があったとおり「スマホを持たない人にはデジタルの便利なサービスを提供できない。行政サービスに差が生じてしまう」という懸念の払拭であり、シニア世代のデジタルデバイド(情報格差)を和らげることです。
その背景には、結果として自治体の運営コストを下げるねらいもあるでしょう。
情報弱者の方々のケアを、これまで通りアナログ対応でやり続けることが、自治体としても物理的に難しくなってきている表れなのだと思います。

しかし、それでも東京は恵まれているほうです。
交通網をはじめ、様々なインフラが整っており、資金力もあり、職員数も多い。本当に「スマホを使った自助的な行為」が必要不可欠なのは、むしろ地方都市ではないでしょうか。
本コラム第265回でも触れましたが、地方の小さな都市でも、高齢者にうまくスマホを活用させて自治体運営に生かしている事例があります。
私が直接お話を伺ったのは鹿児島県の日置市でした。
首長や幹部が本気のビジョンを持ち、現場の職員が地道な啓蒙活動を続けることで、高いDX浸透率を実現しているのです。

高齢化はこれからもますます進んでいきます。
それと同時に、社会のデジタル化もどんどん進んでいきます。
サポートする側もされる側も、もはや「生きる術」として、自分事としてデジタルの知識と、それを生活に展開する技術を習得しなければならない時代に入っているのです。
記事にあった東京都の「TOKYOスマホサポーター制度」では、研修を受けた約9000人のサポーターが登録し、相談会などで高齢者に優しく教えているといいます。
こうした人と人とが対面で支え合う仕組みは、デジタル化の時代だからこそ、ますます重要な意味を持つはずです。

私自身、せっかく資格を取得しながら、昨年は母の逝去や父の入院を言い訳に、止まったままになっていた「TOKYOスマホサポーター」としての活動を、そろそろ再開してみようと思っています。
仕事ではAI活用の支援に日々奔走している自分が、その対極にある「最もデジタルから縁遠い方々」に向き合う。
両極端のテーマを並行して考えるからこそ、デジタルとの向き合い方の本質が見えてくるのではないか、そんな予感がしています。

便利なデジタル環境の恩恵を、一部の人だけが享受するのではなく、社会のすべての世代が等しく受けられるようにしていく。
そのためには、行政による制度や予算の整備だけでなく、我々一人ひとりが身近な誰かをサポートする「お節介」もまた、欠かせない要素です。
それこそが、私が本コラム「これからのオンラインとの向き合い方」を書き続けている本当の意味なのではないか。改めてそう感じている今日この頃です。

最新の記事
アーカイブ