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星 寿美

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第96回 『安心安全な場』を履き違えていると私は思う

2023/02/20

ここ最近、イベントやセミナーなどで、最初によく言われること。

――――――――――
ここは、安心安全な場です。次のルールを守って参加してください。
①人の話を最後まで聞く
②人の話を否定しない
③ここで聞いた話は口外しない
――――――――――

例えば、そんな風に言われることが増えました。
そして私は、そういう場が逆に安全と思えないのです。

きっと、同じように感じている方もいらっしゃるのではないか?と思い、それを表現してみたいと思います。
その後に、では『安心安全な場って何だろう?』という私なりの考察でまとめます。

①人の話を最後まで聞く
他の方には関係ない自分の話をダラダラ長く話す方もたまに参加されます。
そういう時はファシリテーターや司会の方がうまく切り上げたり、まとめたりしてほしい。
このルールがあると、それができなくなるので安心できない。

②人の話を否定しない
このルールが私は一番、安心できないポイントなのです。
私は、本当の気持ちや考え同士で対話がしたいから。
何を言っても、ニコニコして「いいね、いいね」って聞いてくれても・・・。

このルールがあるかぎり「本当は違和感を覚えていても、否定しないというルールを守って、言わないだけかも?」と思えてしまう。
さらに、否定的な意見も聞きたいし、そこから面白く発展する場合も多いのに!ともったいなく感じてしまう。

③ここで聞いた話は口外しない
共有事項として、これを伝えることはもちろん大切だと思います。
もちろん、口外しないことが一番ですが、いろんな人がいます。
だから、そもそもこのルールを伝えたからと言って、安心なわけではないし、逆に外で話されたとしても、それほど危険でもないのではないか?

なぜなら、セミナーとは全く関係ない身近な人に、セミナーで会った全く知らない人の話を「今日のセミナーでこんな人がいたんだ〜」などと話しても、その人と特定されることはないと思うんです。
例えば、ですが。

と・・・よく聞く3つのルールを、私なりの考察しましたが、安心安全な場を作るということには、大賛成です。

そして、このような表面的・画一的なルールでは、安心安全な場は作れず、逆に「本当は何を考えているの?」という不安な場になるのでは?と私は思うのです。

最近では、これらのルールも、もう少し丁寧に、
『人の話をいきなり否定するのではなく、一旦は聞いて尊重しましょう。』などと表現されているところもあります。

本当にその通りだと思います。
ただ、丁寧な説明を行う会は、ルールが5つくらいあって、どのルールも同じように丁寧に説明されているので、そんなに覚えられないし、参加者によってレベルの差が大きいので、やはり難しそうと感じます。

安心安全な場って何だろう?

では、安心安全な場って何でしょうね?
私は、多種多様、いろんな人が参加する場で、一人一人が『ありのままの自分を表現できる場』であればいいなと感じています。

そのためには、表面的・画一的なルールや、最もだけれど細かすぎるルールなどで場をコントロールするのではなく。

風土(雰囲気)作りが最も大切で、それは『誰がやっている、どんな会なのか?』に最も影響されるのではないか?

と感じています。

風土(雰囲気)はどう作られるのか?

人は、お互いに影響を受け合います。だから、まずは主催する人の『在り方・考え方』は大切です。

もし、その会を主催する人が、オープンマインドかつ「あなたはそう考えるんだね!私はこう考えるよ!」と自分も相手も同じくらい尊重しあえる人だとしたら、まず風土の元はそこから広がると思います。

そして、主催側・スタッフさんたちが、お互いに自分も相手も同じくらい尊重しあえて、いい雰囲気だったら・・・そんな雰囲気が広がります。

そんな風土(雰囲気)の会に、もし自己主張の強い、かつ相手を批判するような変な人が紛れ込んでも、いつも通り「あなたはそう考えるんですね」と心から尊重し、そして「私はこう考えます」と自分の意見も伝えたらいい。

何が起こるか・・・

その風土(雰囲気)に合わない人は、その本人が居心地が悪くなって、自然にいなくなります。
ちゃんと自分の批判に感情的に反応してくれるところを求めてどっか行っちゃいます。

例えば・・・の話ですが、ルールで場をコントロールしなくても、まずは自分たちが『どういう風土(雰囲気)を作っているか?』そして、その輪が広がって、自然に「ここの雰囲気がなんか好き!」かつ「この雰囲気が好きな、でも性格や視点などは多種多様な人たち」が集まればいいのではないか?と私は思います。
じゃぁ、ルールは必要ないのでしょうか?

ルールは必要

ここは、こういう場所です。
それがわかる『たった一つのルール』は必要だと思います。

例えば、世田谷区に羽根木プレーパークというお気に入りの場所があります。
私はそこで子どもを育てたくて、その脇に引っ越しちゃったほど(笑)

森の中で、子どもたちが自由に遊べる場所です。
どんなに高い木に登っても、どんなに深い穴を掘っても、何しても自由!でもルールがたった一つ。

『自分の責任で自由に遊ぶ』

何をしてもいいけれど、怪我をしても自分の責任というわけ。
で「わ〜、ここがいい!」って共感したお母さんたちが集まるから、多少の怪我は問題がない。
ここには、些細な擦り傷に過剰に反応するお母さんがいないから。

このように『ここはこういう場所ですよ!』という発信、わかりやすい『たった一つのルール』は必要だなぁって思います。

(ちなみに、プレーパークは、この羽根木が日本発祥の地で、ここから今は全国に広まっています。ぜひ調べてみてくださいね♪)

で、話を戻しますが、私がもし何か会を主催するのであれば、例えば・・・

ここは、ありのままの自分を自由に表現しあえる場所です。
ルールは『誰かの話をするときは、必ず主語を自分にしましょう』

などに、なるかもしれません。

人のことは誰もわからないのに「あなたって、こうよね」「あの人ってこうなの」なんて話すから複雑になってしまう。

誰もが、主観の住民。
誰も人のことは理解できない。

だから、響きあえた時、共感しあえたときに『嬉しい!』と喜びを感じる。それが私たちだと私は思うのです。

「私からはこう見える」「彼女はこう考えていると私は思う」と言うのは、自由!

でも、人のことは誰もわからないので「あの人ってこうよね」なんて決めつけることは何人たりともできない!と私は感じているのです。

自分はそう考えている・・・
ほら、たとえ全く価値観が合わないとしても、これなら『否定』にもならない。

誰もが、自由に自分自身を表現し、それに対し、共感や違和感を感じあい、そこからクリエイティブに対話が展開していく!

「あなたはそう考えているのね!なるほど〜。私はこう考えているの。」「なるほどね!じゃぁさ、こんな見方で考えたら、あなたはどう見える?」

全く違う価値観や意見の人たちが、どこまでも対話を深め、発展させることができます。あ〜楽しい!!

私は、そんな対話が、最も安心安全な場だと感じます。

ちなみに、20歳の息子とは意見が全く違う時も、お互いに考えや視点を言い合って世界を広げあえている感覚があります。

対話を深めていくと、使う言葉が違うだけで似たようなことを言っていたことに気づけたり、逆に世界を広げあえたり。

だから、価値観や考えが、同じでも違っても楽しい!それは本当に安心安全で、お互いに成長しあえる関係・・・こんな風土(雰囲気)を私は広げていきたいと考えています。

さて、これは私の主観の話。あなたにとっての、安心安全な場とは、どんな場でしょうね?ぜひ教えていただけたら嬉しいです。



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