先日、日本経済新聞に「デジトックス」という言葉を用いた興味深い記事が掲載されていました。
子どもたちのスマホやデジタル機器の過剰利用による集中力低下や学習習慣の乱れを防ぐため、あえてデジタルから離れる環境をつくるという内容です。
このコラムでも何度か「デジタルデトックス」の重要性について触れてきましたが、この記事を読んで、やはり意識的にデジタルと距離を置く時間は、大人にも子どもにも不可欠だと再認識しました。
元記事が目的としている「集中力低下や学習習慣の乱れを防ぐ」という視点には、私自身も大いに賛同します。
本来であれば、メールやSNSの通知を切る、スマホを「おやすみモード」にする、1時間に1回はデバイスから離れて休憩をとるなど、日常の中でオンとオフを切り替える方法はいくらでもあります。
しかし、現代社会において、それを自発的かつ継続的に行うのは至難の業です。
頭では分かっていても、つい手元の画面を見てしまう。
それが自力ではできない現実があるからこそ、物理的に「強制環境」を設定することが求められているのでしょう。
「デジタルから遮断する」機会を強制的につくること。それは、ある意味で「不便さ」を受け入れることです。
ここで「スマホがないと不便だ」「効率が悪い」と言い出してしまったら、そもそもデトックスという目的から外れてしまいます。
思い返せば、私自身も過去に「ポメラ」というテキスト入力専用のデジタルメモ帳を愛用していた時期がありました。
当時は今ほど常時接続のデジタル社会ではありませんでしたが、文書作成業務が多かった私にとって、重いPCを持ち歩かずに済むポケットサイズの手軽さは非常に魅力的でした。そして何より、ネットにも繋がらず、メールの通知も来ない単機能なツールだからこそ、「ただ文章を書くことだけに没頭できる」という絶大な集中効果を感じていたのです。
あえて機能を絞る、あるいは遮断することが、結果として人間のパフォーマンスを引き出す好例だったと思います。
実は、これと同じ現象を人材育成の現場でも目にすることがあります。
私が登壇する企業研修において、時折「講義中はスマホを全員から預かる」というルールを徹底している会社があります。
そうした環境で研修を行うと、他の現場と比べて明らかに受講者の集中力が高く、議論の熱量も上がるのです。
手元にスマホがない以上、他の業務や外部からの連絡を気にすることができません。
結果として、目の前のワークや対話に全神経を集中させるしかないからです。
強制的なオフが、学習効果を劇的に高めている証拠と言えるでしょう。
ただし、ここで一つ私見を付け加えさせていただきます。
デジタルデトックスやスマホの制限は、あくまで「環境を整えるための手段(道具)」に過ぎません。
制限したからといって、自動的に集中力や学習習慣が身につくわけではないのです。
本当に大切なのは、デジタルから離れた「余白の時間」を何に使うかです。
読書や計算に没頭する、運動や武道で心身を鍛える。
あるいは、毎日の規則正しい生活リズムや食生活を整える。
こうした、一見アナログで泥臭い「人間としての土台づくり」を並行して行わなければ、真の集中力や思考力は養われません。
先日のコラムでも触れましたが、今はAIが身近になり、私たちの思考や業務を強力にサポートしてくれる環境が整いました。 しかしその反面、AIが導き出した「それらしい答え」を自分の実力だと勘違いしてしまい、いざという肝心な場面で勝負できない、思考が止まってしまうといった光景がビジネスの現場でも散見されるようになってきました。
便利なツールを使いこなすスキルは、これからの時代間違いなく必要です。
しかし、その前提として、(自分でも気づかないうちに)デジタルに侵食されず、情報に振り回されない確固たる「自分の軸」を持つことがそれ以上に重要です。
デジタルを使いこなす力の前に、まずは人としての「自力(じりき)」を、大人から子どもまでしっかりとつけていく必要がある。
そんなことを改めて強く思った今日この頃です。