先日、日本経済新聞に「スマホで民事トラブル解決 代金未払いや養育費の泣き寝入り改善期待」という記事が掲載されました。お金のトラブルや離婚といった民事の争いごとを、裁判所に足を運ぶことなくインターネット上で解決する「オンライン紛争解決手続き(ODR)」が広がり始めているという内容です。大阪のAtoJが提供する「ワンネゴ」では、企業が未払い料金の調停を申し立てると相手のスマホに通知が届き、「今すぐ支払う」「弁護士による調停を希望する」といった選択肢を選ぶだけで手続きが進みます。2024年9月の開始以来、約2万件・約3億円分を解決したそうです。また、チャイルドサポートは、LINEで離婚の話し合いや合意書づくりを進めるサービスに加え、この10月からは法定養育費の請求に特化したODRも始めました。法務省も2022年に基本方針を定め、スマホが1台あれば、いつでもどこでも誰でも紛争解決の支援を受けられる社会を目指しているといいます。
読み終えて、まず思ったのは、これこそデジタルが果たすべき社会的貢献ではないか、ということでした。
振り返れば、インターネットが社会にもたらした最も大きな役割の一つは、地域による格差をなくしたことだったと思います。鹿児島出身の私には、それが実感としてよくわかります。かつては都会でしか手に入らなかった商品が、どこに住んでいても同じように買える。同じ映画や音楽、情報を、同じタイミングで楽しめる。これは本当に大きな変化でした。
今回のODRは、地域ではなく「お金と時間」の格差を乗り越えようとする試みだと言えるでしょう。記事には「2割司法」という言葉が紹介されていました。裁判にかかる費用や時間の負担が重いために、トラブルに巻き込まれても多くの人があきらめてしまい、司法の恩恵を受けられるのはごく一部にとどまる、という問題を表す言葉だそうです。言い換えれば、これまで自分の正当な権利を守れたのは、一定の資金と時間に余裕のある人だけだったということです。
とりわけ心を動かされたのが、養育費の話です。日本ではひとり親家庭の7割が養育費を受け取れていないというデータがあり、チャイルドサポート代表の佐々木裕介弁護士は、年間6000億円もの養育費が埋もれていると指摘しています。仕事と子育てに追われるシングルマザーが、弁護士を探し、平日に何度も休みを取って手続きを進めるのは、現実にはかなり難しいでしょう。それがスマホ一つで前に進むのなら、こんなに素晴らしいことはありません。しかも、養育費がきちんと支払われて家計が潤えば、自治体が支出する児童扶養手当の削減にもつながるといいます。困っている人が救われ、国や自治体の負担も軽くなる。まさに一石二鳥です。
西川きよしさんが昔から「小さなことからコツコツと」とおっしゃっていましたが、ODRの広がり方にも、その姿勢を感じました。AtoJの冨田信雄CEOによれば、国内の料金未払いは年間で総額1兆円を超えると試算される一方、300万円以下の債権では裁判を起こしても費用倒れになりがちだといいます。だからこそ、少額の未払いを解決するところから始めた。考えてみれば、庶民の暮らしで起きるトラブルの多くは、まさにこうした「金額は小さいけれど、泣き寝入りするには悔しい」ものではないでしょうか。大きな仕組みを一気に変えようとするのではなく、身近で数の多い困りごとから着実に手を付ける。その着眼点がとても良いと思います。
人材育成や業務改善に携わる立場から、もう一つ目に留まったのが、利用企業であるスポーツジム運営・ワールドプラスの事例です。以前は月会費の未払い会員に1件ずつ連絡していましたが、逆に苦情を言われることも多かったそうです。それがシステムを介すようになって感情面のすれ違いが減り、担当者の精神的な負担が軽くなった。回収率は約5割に上り、会員を続ける人も増え、本部の社員は浮いた時間を店舗のサポートに回せるようになったといいます。本コラム第279回や第280回で、デジタルは人の力を「増幅」させる装置だと書きましたが、人と人との間にデジタルが入ることで、かえって関係がこじれずに済み、働く人を消耗から守る。そんな役割もあるのだと改めて気づかされました。
一方で、課題もあります。ODRに詳しい森大樹弁護士は、認知度がまだ低く市場も小さいため、開発に十分な資金をかけられないと指摘したうえで、時間と場所の制約がないという利点を生かせば、困っている人が仕事を休まずに支援を得られるようになると話していました。まったく同感です。どれほど良い仕組みでも、必要としている人に知られなければ、存在しないのと同じです。第270回で高齢者のデジタルデバイドを取り上げた際にも、制度があるだけでは活用に至らないと書きました。すでに取り組まれているのかもしれませんが、自治体や法曹関係者をはじめ、困っている当事者に届くような訴求を、より一層強めていただきたいと思います。そして開発資金の壁も、AIがさらに進化していけば、開発の手間やコストが下がり、少しずつ乗り越えられていくはずです。
デジタルというと、ともすれば効率化や生産性ばかりが語られがちです。しかし、その本当の価値は、これまで手が届かなかった人に手を差し伸べられるところにあるのではないでしょうか。デジタル活用の推進を生業とする者として、デジタルが一つでも多くの社会貢献につながるよう、こうした取り組みを紹介し、推奨し、提案していける活動をしていきたいと感じる今日この頃です。